道尾秀介「水の柩」中身はおんなしなんだよ(前編)

book

道尾秀介さんの「水の柩」のレビュー記事になります。

所々、ネタバレもありますので、ご注意ください。

この本の良さが伝われば幸いです。

主要登場人物

・吉川逸夫

実家が旅館を営む、「普通」の中学生、

・木内敦子

逸夫のクラスメート、母子家庭、小学生の頃転校してきた、いじめられている

・いく

逸夫の祖母で84歳、旅館の女将を退いて家事・育児をこなす、趣味で蓑虫を飼っている

最初の30ページで多くの人物が出てきて「えっと…」となりますが特に読み返してしっかり覚える必要無し、この3人で話は進み、他の人物はそれほど重要ではありません。

構成

国語の教科書や入試問題で出てきそうな、いわゆる「純文学」のような作風です。旅館を経営していて、ダムに沈んだ村が出てくることから自然豊かな田舎町をイメージすると読みやすいのでは。本の表紙にも合掌造りのような家が写っていますね。「志野川」という具体的な名称が出てきますが調べてみるとそのような川はありませんでした。

各章ごとに敦子が自殺の場所に選んだダムへ向かうバスの車内→逸夫の日常という構成ですが、3・6章以外は章の最後に敦子の目線も差し込まれます。逸夫の日常中心の物語なので敦子・いくの心情を読み取るのは想像になりますが、そこが今作の醍醐味であり、読者も逸夫の目線を体験し考えることになります。

あらすじ(ネタバレ無し)

「このまま自分の人生何も起こらず過ぎていくのだろうか…」普通の中学生である逸夫はその普通を引け目・退屈に感じています。文化祭の準備を買い物係として敦子と担当することになるが、ホームセンターで敦子が妹の誕生日プレゼントのため白いぬいぐるみを万引きするなど、敦子の家庭の事情などを少しずつ知ることに。ある日小学校卒業の際に埋めた「タイムカプセルの手紙を取り替えたい」と敦子に頼まれる。20年後掘り返す復讐のため「みんなへ」の手紙にはいじめられてきたことを全て書いたが、その手紙が土の中にある限り、いじめを意識してしまいそこから抜け出すことはできない、だから普通の日々を取り戻すために手紙をすり替えたい、と逸夫に言うのだったが…

祖母のいくの知り合いだという枡野テルというお客さんが旅館に来たことで、ダムに沈んだ村でのいくの過去を逸夫は知ってしまい、いくは70年隠してきた過去の罪から自分を責めるのであった。

感想(ネタバレ有り)

バスの中でも敦子は出てこないし、いきなり「自らの命を絶つためダムに向かった敦子」とか「去年の秋、9か月前」「15歳の冬を見ずに死んでいった少女が笑っている」とあるのでてっきり敦子はもう死んでしまった……ダムに向かう車内も不思議と明るい雰囲気だったので、「ん~?」とは思ってましたが、やっぱり生きてました(笑)ただ5章まではホントに敦子が生きているのかはわかりませんでした。そう思わせる文章はさすが道尾作品です。が、逸夫が敦子の自殺を止めたダムでの描写がイメージできない…「ダムの上に人影を認めたのはバスが停留所に停まろうとしたとき」とあります……間に合うわけなくね(笑)一生懸命走ったのはわかるけど、村を潰してまでつくったダムなので、とてつもないサイズだと思われますが、そもそもそんな簡単にダムに飛び込める場所に立つことなんてできるのか?ダムの水門ではなく、ただ水を見下ろせる橋の上みたい場所なのか。これは逸夫が呼び止めたから敦子が躊躇したから間に合った、と考えるべきでしょうか。この場面はどうもわからないです。

仲良しのたづちゃんを死なせてしまった、といくは自分を責めて村を離れて、息子の良平にも自分の過去を裕福な家と偽り、生きてきた。敦子も「いじめが原因で自殺したわけではない」ということにしたいため、手紙を取り替えた。過去を偽ってきたいく、過去を偽ろうとした敦子、どちらも逸夫に助けられた、と簡単にまとめるとこうなりますが、いく目線で考えるとテルさんが余計なことをした、とも言えますよね。それまで約70年間過去を隠して旅館の女将として勤め上げ、それなりに幸せに暮らしていたわけですし、その後いくが抜け殻のようになってしまったのは、記憶から消していたたづちゃんを思い出したからか、家族に噓がバレてしまったからか、その両方かもしれません。ただだいぶ神経図太いカンジのいくが今更たづちゃんのことで自分を責めるか?家族に過去がバレても「あぁそんなこともあったかね、忘れちまったよ」で済ませるのでは?

多々朗がソースをこぼした時にたづちゃんの血を思い出した、つまり本当にたづちゃんのことを忘れていた可能性もあります。認知症の症状は3人でのダムの後に現れるのですが、家族にもわからないくらいじわじわと物忘れは起きていた。順番としてはソースでたづちゃんを思い出し、テルさんが現れたことで「自分だけ幸せになって忘れていただと、過去と向き合え」と責められている気になってしまった。テルさんもそんな責めるつもりはなかったはずですが、いくはこの後ひどく落ち込みます。

逸夫の思いついた「人形3体ダムにドボン」は笑子の言葉が大きな影響を与えています。「とにかく全部忘れて、今日が一日目って気持ちでやり直すの」この文章が今作の最も重要な一文であるようにも思えますが、よりによって全くストーリーに関わってこなかった笑子、う~ん…まさかでした。でも実際はこういうものかもしれません。誰がどんなヒントを与えてくれるかはわからないですから。物語ではほとんど描かれていない笑子だってもちろんそれまでの人生があって、実際には両親を交通事故で無くしている、という暗い過去がありました。ただ逆にこの交通事故はいらないかなと思いました。ここまで笑子を描かなかったならそれを最後まで貫いてもよかった、何の過去も特徴もなかった人物が一番重要なヒントをくれたっていうのもアリでは?

いじめについては敦子が「いえ、いじめられてなんかいないです」という感じで大事にはせずに自分で解決しました。いじめっ子たちに大きな仕返しをするかな、とも思ってましたがしませんでしたね。物語としてはやり返すシーンがあると起伏がつくのでしょうが、「いじめをなくそう」を伝えたかったわけではないということだと思いますし、敦子が強くなったことが描ければ道尾さんはよかったのでしょう。いじめでなくても敦子が死を意識する原因なら他の出来事でも成立するような気がしますし、タイムカプセルの手紙もそれに合わせて内容を変更できるはずです。今作はいじめを題材にした作品ではなく、「辛い出来事を乗り越える」をテーマにしている、と感じました。

この後考察へ続きますが、長くなりますので一旦この辺で

後編も合わせてお楽しみください

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