ご挨拶のつづきです。ライティングについて

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記事1本書いただけで、達成感ってあるものですね。まだ誰も見てないだろうけど、誰の人生に影響与えたわけでもないけど、「ブログを書いたことがあるよ」と言っていいのですから、不思議なものです。

書き終わった時の「やった…書けたよ…自分にも」は最初の1記事目だけですから、大事にします。

段落、行間、色使い、「このまま公開していいのか…」など迷いましたが、それはまた今度書こうと思っています。

さて、「ブログを書こうと思った理由」のつづきです。

2,ライティング能力とはどんなものだろう

「書く」は自分にとってどういう存在だったか

「書く」という行為をそこまでやってきた人生ではありません。

ましてや「誰かのために、役に立つ情報をお届けする」なんて縁のないこれまででした。

東京六大学の〇〇大学卒なので、学校の勉強は人並みに真面目にやってきましたが、「文章を書く」は自分にとってそこまで大きいものではありませんでした。

そこでまず思い出すのは「作文」かなと。

本を読むのは嫌いという小学校、国語の成績も中学・高校と悪かったです

特に作文、読書感想文は非常に困った宿題でした。「楽しかった、うれしかった、おもしろかった」そんないかにも薄~い内容だったことをなんとなく覚えています。

そんな中好きだった「書く」もありました。漢字や英単語です。

漢字の練習で「ひとつの漢字を10回ずつ書く」ってありましたよね。英単語をとにかく書いて覚える、もやっていました。

手のチョップ部分が黒くなるやつですね。

あれの何がよかったのか?今考えると「やった気になる」ということだったのでは、と推測できます。

字で埋めつくされてゆくページを見て「勉強した~」と達成感を感じていたのでしょう。

書くことで得られる達成感でしたら、ブログも似た性質があるのかもしれませんね。

つまり「ブログを書く」という行為を「漢字・英単語を書く」のレベルまで落としてみると楽しく書き続けていけるのかも。

1記事目を書き終えた時の「ふう~書けた…いや~」をやっぱり覚えておこうと思います。

内容は…今はまだね、この段階ではそこまで高いレベルを求めるのも酷です。

コンビニの店員さんで外国人の方、増えましたよね。あの人達の努力量もすごいと思いませんか?

3ヶ月後にインドネシアの、コスタリカの、フィンランドのスーパーで働けますか?

ゾッとします…

漢字だって義務教育小中9年間学んで、皆さんこうやって生活しているわけです。外国人が「漢字 is crazy…」というのも無理ないですよ。

まだ僕も2記事目です、内容はいずれ良くなる…はず!

自己表現として

最初は「ただ書く」でいいかもしれません。習慣化するといいますか、内容も大事ですが、書くことを嫌いになってしまってはおしまいですし。

ではあの頃、読書と「書く」が好きになれなかったのはなぜなのか…

やはり作文がわかりやすいですよね。感想文や将来の夢、題材は異なっていても、そこに「自分」が出てくることは避けられません。

自分の感想、自分の夢、場合によってはそれをクラスメイトの前で読む。それが苦痛だったのでは、と考えられますよね。

計算、歴史の人物・年号、動詞の過去形を間違えても確かな答えが用意されていると、「あ、そっか間違えた」が納得でき、「勉強ができていない自分」がそこに現れるだけで済むのですが、小学生であっても作文は少なからず自己を表現していますから、赤字で直される、みんなから「え?何言ってるの」と思われると「僕自身」が否定されたかのような感覚に陥るのです。

つまり、自己表現がどうこうより、その先の結果が怖かったのだと思います。

笑われる、バカにされるが怖かっただけで、小学校・中学校で自己表現なんて考えていなかったですよね。

今ではこうして、未熟なブログを書いて平気で発信していますが、あの頃は学校という社会が全てでしたから、ひとつの失敗で3年間ネタにされるのはやっぱり怖かったですよ。

そういうわけで、結果として「自己表現」それと付随して「書く」から遠ざかっていった、と考えることができるのではないでしょうか。

そうなるとひとつの疑問が…「書くのを好きなれなかった」としていましたが、果たして?

たしかに好きにはなれなかったようです。なっていたらもっと以前にこういったブログを始めていたことでしょう。

ただ、「嫌い」にもなっていないのでは?遠ざかっていただけのこと、こうして文章を書いていてそんな風に考えることが出来ています。

日本人は自己アピールが下手」よく言われるみたいですね。これも間違ってはいないと思いますが、悩むこともないかもしれません。

遠ざかっていただけと考えれば、「そりゃしょうがない」と思えます。

「スイス人は箸の使い方が下手」「そりゃしょうがない」

そして次に近づいてみればいいだけです。その第一歩としてブログっていうのもアリですよね。

成長も見込める

つながりました、「自己表現としてブログをやってみる」というわけです。

何かを世に出せば色々なことがあるはず。褒められることも、バカにされることも。

そもそも多くの人に読んでもらわないと炎上すらしない…

「炎上したら一人前」なんて聞いたこともあります。

トラブルは避けたいけど、発信することは自分を成長させてくれると思う。

ライティング力をテーマにこの記事を書いていますが、それだけじゃないはずです。

1、WordPressが使えるようになる

2、記事を書くためのアンテナを貼って生活するようになる

3、新しい出会いもある

まだまだありそうですね、「ブログを書くメリット」だけでも記事一本いけそうです。それはまた別の機会にします

作文にも様々な成長のチャンスが込められていたのかもしれません。そう思えるのに僕は約20年かかりましたが、20年越しの作文をブログという形で、今後も続けていきますよ。

早いも遅いもないってことで、今ブログに出会えてラッキーです。

長くなりました、「2、ライティング能力とはどんなものだろう」はまだ続きます。

インドネシア、コスタリカ、フィンランド、スイスの部分は適当です。何も調査してません

つづく

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