道尾秀介「ノエル -a story of stories-」主人公が出合わない1つの世界

book

道尾秀介さんの「ノエル」のレビュー記事になります。

所々、ネタバレもありますので、ご注意ください。

この本の魅力が伝われば幸いです。

構成

童話作家である圭介自信の話と彼の作品が、誰にどのような影響を与えたのか?

「光の箱」「暗がりの子供」「物語の夕暮れ」は短編になっていて、その中でもわずかに重なる瞬間があり、「四つのエピローグ」で締めくくります。東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」もいくつかのストーリーが「実は繋がっていた」物語でしたね、似た構成として挙げられるのでは?またそれぞれの話の中には子供向けと思われる童話が挟まれストーリーと結びつき、それが今作の世界観を演出しています。この童話の解釈は難しいので深く考え過ぎると進みません。今作はミステリーの道尾作品ではなく意外?にもマイルドに話は描かれていますが、道尾ファンを楽しませる「え?どうなっちゃうの?」はちゃんと仕掛けられているのでご心配なく。

あらすじ(ネタバレ無し)

「光の箱」

学校・家庭のいじめ・暴力からふさぎ込み、物語を書くことで時間を忘れ、現実を我慢してきた中学生の圭介は絵の得意なクラスメートの「同じ目をした」弥生に誘われ絵本を作ることに。2冊の絵本を作り二人は同じ高校に進学し、弥生は新たな趣味カメラを見つけ、夏美という親友とも出会う。二人の関係にも変化が見られ、そしてある日夏美が突然の転校。この転校を裏付けるあるものを圭介は見てしまった…そして圭介と弥生は離れてゆく

「暗がりの子供」

生まれつき左脚が不自由な小学三年生の莉子がお雛様のひな壇の中に隠れて絵本を読む場面から始まり、入院中の祖母を自宅で面倒を見ることについて話す妊娠中の母と父。家族が二人増えることになるのに「赤ん坊が生まれてくるのと、祖母がやってくるのと、どう違うのだろう」ある日大好きな祖母のお見舞いに行くバスの中に本を忘れてしまい、莉子は自分でノートに物語の続きを書き始め、やがて絵本の真子イマジナリーフレンドとして会話をするように。祖母の容態が悪くなり、母は生まれてくる赤ちゃんのことばかり。真子は莉子に言います「あたし、しってるの、赤ちゃんが生まれないようにするほうほう」

「物語の夕暮れ」

三ヶ月前に長年連れ添った妻に先立たれた与沢は児童館で子供たちに本の読み聞かせをしているが、それも来週で最後。雑誌のあるページでかつて自分が住んでいた海辺の家を見つけ、現在の住人である童話作家に手紙を書いた「海沿いの道から響いてくる、祭り囃子を電話で聞かせてほしい」好きだったときちゃんとのお祭りの思い出を回想し、与沢は自分の人生を振り返る。子供を持つことが出来なかった、尊敬される教師にもなれなかった。生きている意味を見出せなくなり、インコのときちゃんを空へ離し、部屋を閉め切り七輪に火をつけた。

感想(ネタバレ有り)

「光の箱」

圭介がホテルの玄関でタクシーに轢かれ、それは弥生が乗っていたタクシーだった。ように思わされます。「ノエル」では道尾作品ならではの「大どんでん返し」はあまり見られず、あくまでもソフトな作風で描かれていますが、「1年ズレ」とはこれはさすがのトリックです。夏美の写真は弥生が夏美を助けるために撮ったものであり、父から受けてきたことだけは圭介に話せず、真相を伝えられなかったこと、など人物の感情の描き方が切ないですよね。そして童話「リンゴの布ぶくろ」「光の箱」を挟みながらもこの内容のストーリーを無駄なく要点だけで表現できてしまうのですね。結婚のお祝いの場面の最後の一文「記念撮影のフラッシュでも焚いたのだろう」これはカメラが「光の箱」を表しているはず、夏美の写真を撮ってしまったのもカメラでした。

「暗がりの子供」

主人公が勝手に作り出したイマジナリーフレンドとの話はたまに目にしますが、この話は少し気味悪い系です。終始どんよりとした雰囲気が漂っている話で、生まれてくる命と消えかける命の対比がそれを加速させています。「母のお腹に、もうこの子はいない」で階段から母を転落させ赤ちゃんを「ダメにする」をしてしまったのか?「うそ…それはないだろ…」ですよね、まぁ無事産まれていたわけです。道尾作品だと「ソロモンの犬」でも「それはないだろ…」が終盤ありましたね。ただ産まれた妹に「真子」と名付けたのはちょっと怖いかな…実は莉子自信気づいていなかったけど、赤ちゃんが産まれてくるのを楽しみにしていた、ともとれます。読者にとってイマジナリーフレンド真子は不気味な存在だったけど、莉子にとっての真子は確かに友達だったのですから。「9歳年下の妹を両親が可愛がるのは仕方がない」「私が産まれた瞬間に母も父も生まれた、それだけで絆を信じられる」「妹のスカートの腰から出たシャツを莉子は入れてやった」と中学生になった莉子の成長が伺えるラストでやっとどんよりが晴れたかな、という印象です。

「物語の夕暮れ」

この話だけは終わり方が中途半端といいますか、「めでたし」でも「ふ~ん、なるほど」ともなりません。この後の「四つのエピローグ」込みの話となっていますので、この話だけのまとめは難しいですね。歳の近い友人や親戚の表現はないので、アパートで寂しく生活していたのは伝わるが、ただ与沢は児童館の事務員重森さん進藤君には慕われていたし、子供達にも人気があった(その中に真子もいた)ので、自殺を選んだ要因は単に「孤独」と言えるだろうか?ときちゃんと未来を語り合い、一生懸命生きてきたが、これといったものは残せなかった。その「失望」から命の終わりを意識した可能性もあり、つまりあの雑誌で「海辺の家」を見て、ときちゃんとの思い出に浸ったことが少なからず影響しているのでは?カブトムシが飛び立ち弱ったヤモリの口に水滴を落とした、名医ヤモリは後にカブトムシを助ける、これもこの時点では「なんのこと?」ですよね

「四つのエピローグ」

与沢もときちゃんに児童館の子供たちにオリジナルの話をしています。3作とも物語を創作する主人公という共通点を持っていますが、それが「実は結びついていた」に影響しているのか、はわかりません。

与沢が寂しい少年時代を送っていた圭介のかつて小学校の担任で、その時に「自分で物語を作ったことがある人はいるかい?」「何でもいいからつくってみなさい、そうすれば強くなれる」「お話の世界に逃げるのではない、優しさとか強さを知り、また帰ってくるんだ」と話し圭介は物語を書き始めた。

先ほどの物語の弱ったヤモリが少年時代の圭介で、その口に水滴を落としたカブトムシは学校教員時代の与沢、ここでは与沢が圭介を助けた。ヤモリは名医になりカブトムシを助けます、厳密には真子がインコを追いかけて与沢を助けた描写ですが、圭介(ヤモリ)が作家になり数々の本を書き、莉子がそれを読み、真子に伝えた、と考えればいいでしょうか。

奥さんが買ってきたインコが助けた、とも考えられますが、奥さんがインコを買った経緯はそこまで詳しくは書かれていません。幸せを運ぶ鳥ということでしょう

カブトムシはこうも言っていました。「ありがとう、ヤモリさん。その光は半分でもまぶしい、別の誰かにあげてください。私はもうどうせ長くありません」と。「別の誰か」は莉子や真子など若い子供たちではないでしょうか。「光の箱を持っていたときよりも、ずっとよく見えた」ここでの「光の箱」はカメラではないと思いますが…今作で頻出の「」は難しいですが、「希望」の象徴として考えればいいはずです。最後に「みるみる眩しい光」「まっさらな一日が生まれようとしている」ここと関係していると考えます。

まとめ

これまで読んできた道尾作品はミステリーやサスペンスなどが多かったので予備知識無しで読んだ「ノエル」はソフトな作風で意外でした。ただ例えば「カラスの親指」でも最後は希望が描かれていますし、「シャドウ」の最後も「その姿が太陽に重なり、洋一郎は眩しさに眼を閉じた」ですからね。全体の作風は違えど道尾秀介らしさは存分に感じられる一冊でした。莉子が「学校から帰ってくると、すぐに食材を買いに出た」から「脚は良くなった?」と少しの希望も書かれています。

オリジナルの物語を作る主人公3人が印象的でしたよね。「何でもいいからつくってみなさい」はこうしてゆったりとですが、ブログを書いている僕にも響く言葉でした。与沢のように老いても気付くことがないかもしれませんが、このブログがどこかの誰かにつながったなら、うれしいです。

ではまた

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