西加奈子「窓の魚」絶望し消える日を待つ、だから生きていける

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西加奈子さんの「窓の魚」のレビュー記事になります。

所々、ネタバレもありますので、ご注意ください。

この本の良さが伝われば幸いです。

構成

「二組のカップルがバスで旅館へ、お風呂に入り、食事をし、食後に再びお風呂に」これをナツ→トウヤマ→ハルナ→アキオの順で4つの視点で描いています。劇的なドラマティックなことは無く、各章の最後に老夫婦、旅館の男性従業員、旅館の女将の視点が少しだけ挟まれています。実際の会話は少なく、「この時自分はこう思っていた、こんな風に見えていた」が今作のメインであり、はっきりとした“事実”は読者の想像に委ねられる部分が多いのが特徴です。

また全ての場面で4つの視点が入るわけではありません。人物の都合なのか「この人にはあの場面は大事じゃなかったのかな?」とカットされていることもしばしば。雰囲気は他人から見れば楽しい旅行のはずなのにどこか“もの悲しい”といいますか、その内部は黒く渦巻いているような、誰も幸せでないのが伝わります。表紙は明るくポップなのですが、若者の“恋愛小説”ではありません。

あらすじ(ネタバレ無し)

明るいアキオとおとなしいナツ、無愛想なトウヤマとファッション大好きハルナ、二組のカップルが旅行を計画し、風呂と食事を楽しんでいたが…ナツは風呂の岩にお湯をかけ“何か”を思い出し、トウヤマの携帯には“あの女”からしつこい連絡、ハルナはトウヤマのパーカーに付いた自分のではない“黒い髪”を見つけ、アキオは風呂で胸の傷を見て“何か”を思う。全員が猫の声を聞いたが、その姿は見ていない。翌朝、錦鯉のいる池で身元不明の女性の死体が見つかる。

感想(ネタバレ有り)

結局池の死体は誰なのか?そこさえも描かないモヤっとした結末で、「えっ?終わったの…」と“呆気にとられた”そんな感想を持つ読者も多いと思いますし、僕もそうでした。予備知識無しに読み始めたので第1章“ナツ”の時点で「何だ…これ?」最初に不安にさせておいて最後には“実は…”があると信じて読み進めてみましたが、見事に裏切られました。「結局何だったんだ…」は貫井徳郎さんにもありましたが、今作も「何でもわかりやすい結末があると思うなよ」ということなんでしょう。

気になったのはそれぞれの視点でのセリフが若干異なる・抜け落ちている所でしょうか。「アキ、猿みたいだよ」の前後をアキオパートは省略しているし、「あたしのほんとの顔、見ちゃった?」はトウヤマパートでは「…ちゃった?」しか聞こえてなかったり、“誰もお互いに真剣に向き合っていない”であったり“都合よくなかったことにしてる”とも考えられますが、これは“よくわからなかったなら本人パートで確認して”という手法なだけかもしれません。

それにして“難しい”1冊でした…風呂入ってご飯食べて風呂入るだけの話なのに(笑)心理描写を楽しむ1冊なので、読者によっても「あの場面は自分はこう思った、こんな風に見えていた」が分かれるのではないでしょうか。複数の謎は残りましたね。それを語り合うための作品なのかも。「みんなはこんな風にならないように、友達となんでもいいから語り合って」というメッセージを勝手にくみ取りました。

池の死体の女は誰?

これは「トウヤマ君の知り合い?」とありますから、トウヤマにしつこく連絡してきていた女で確定でしょう。「店も辞め、金輪際、あの女と関わるのはよそう」からトウヤマの店の客で、ハルナが「友達から髪切るか相談されてた。似合ってない」とあり、ラストにもアキオが会った「30代半ばくらい、耳までの髪」、男性従業員は「最初はね、男が思い浮かんだ」と話していて、髪が短い女性であることが決まり。老夫婦の女性の「その女の人が露天で会った、あの女の人であればいい」はナツが死んだように読者に思わせますが、「ナツの肩には真っ黒の髪がさらさら揺れている」とありますのでナツ死亡説は消えました。ホントに“不謹慎”で紛らわしい…

それにしても「驚くほど恋しかった、殺したいくらい憎かった」はどういう意味か?何をされたのかはわかりませんがストーカー被害みたいなことでしょうか?それとも溺愛されていた祖母に重ね合わせていたのか…そして死因は?「自殺は4人目です」とありますが、それで死因は本当に確定なのか?身元もわかっていないのに?ただアキオと女性の会話で「こんなとこで死ねたらいいな」「あたしもね、そのつもりなの」とありやはり自殺かなと思います。

おそらくハルナが働くキャバクラの同僚だったのでしょう、ハルナにトウヤマの店の話をしたのもこの女?旅行のことをこの女に伝えたのもハルナ?だとしたらハルナは知り合いだし、(そもそもトウヤマも知っていて当然)身元不明はおかしいのでは?死体発見は午前10時、あの4人が午前からきっちり行動してチェックアウトするようにはどうも思えない。そうなれば警察から水死体を見せるなんてことはしないが、色々聞かれるはずで…

「何か薬物が胃の中から検出」とあります。“幻覚剤”でしょうか?ハルナも「店の女の子にもらった」とアキオに話していますし、おそらくハルナはこの女から幻覚剤を入手し、アキオに流していたと考えるのが自然ですが、そこまで関わりのある女と風呂でハルナは会っているはず、気付かなかったのか?ただそこで気付かなかったのは化粧をしていなかったからの可能性大、トウヤマの携帯を見て苗字だけだったからわからなかった可能性大

猫ってどういう意味?

これも難しい…ラストシーンで女性には猫が見えていたようですが、アキオには見えていなかった。おそらく猫は“”を意味するのでしょう、そしてその猫を見ると死が訪れる。男性従業員は「ナーゴ、ミーアの猫は箒で追い払った」と証言してますので、見えていたのであって、「ニャア」の猫は見当たらなかった、でも“死”は旅館に近づいていた、と考えます。

アキオは最後にやっと「ニャア」の声を聞きますが、それまでの登場人物全員が「ニャア」を聞いています。最後にアキオの性器は固くなり、“生きている”ことを実感した。そしてそれと同時に“死”も同居するようになった。アキオ編の冒頭に「川が好きだ。一瞬たりとも同じ水がいない刹那」「圧倒的な木々も空までは届かない、軽く絶望、自分がちっぽけ」これは「時は常に流れ、自分は取るに足らない存在…しかし死んでいない、つまり…」アキオは自分が生きていることを今回の旅行で実感したのだと思います。ナツに“幻覚剤”を飲ませ弱らせて死にゆく様子を見て愛を感じ、生まれて間もなく亡くなった弟のこともよく思い出していますし、母が殺した愛犬ミルの死骸を“最も美しい”と感じた。“誰かの死”で“生”を感じることしかできなかったアキオは自分と向き合うことを覚えたのでしょう。

変な形のお風呂は?

湯舟がガラス1枚で庭園の池に面していて池の水面の方が高く、内風呂から池の鯉が見える…変わったお風呂ですが、“窓の魚”というタイトルですから何もないわけないはず…これは「鯉に見下されている」と考えました。水面が池の方が高いこともありますし「お前らより一生懸命生きてるよ、閉じ込められてるのはお前ら」と鯉は語りかけていたのかも、少しだけファンタジーですが。ラストのアキオは猫の声は聞こえるが姿は見えないことまで確信していた、そして池の鯉が跳ねるのを見たかった。「まだ自分は死なない、鯉を上から見てやろう」と少し強く生きていく決心をしたように思います。

ただハルナは食後に内風呂に入り鯉見て「やだ、気持ち悪い」と言ったのですが、ナツだけは内風呂に入っていない。食事前も食事後も露天に入っているのはなぜか?ナツはアキオに“幻覚剤”を飲まされているだけで「一生懸命に生きていて、鯉に見下されるようなことはない」だからだと考えました。

4人の成長

アキオの成長は“自分の生と死”に向き合うようになった、は先述の通り。トウヤマはハルナに捨てられると思い、夜中アキオに露天風呂で“全て”を話そうと決意したことから少し他人を見れるようになった、自分以外を信用してみようと思えるようになった成長だと思います。ハルナは「男に縋り付いても意味がない」ことに気付きトウヤマに別れを告げることを決め、いくら見た目を変えたところで本質の部分は何も変わらない、結局母と話している時の自分が本当の自分と気付いた。

ナツの成長は“幻覚剤”を飲まされていたことに気付いたこと、と考えます。「アキオと温泉に来たのは初めてだと思い出した、私はきっと狂っている、それが完璧に訪れるのを待った」からそう読みました。「ナツはもう半年ほど、薬を飲まされていることを知らない」はアキオ目線であり、「アキオの手から白い粉」「私の返事を聞かず、湯呑みを渡した」のナツ目線からも気付いているようでした。

可能性は低いですが…ナツは「変な薬を飲まされていたことに以前から気づいていたが、気づいていないふりをして飲み続けた」なんでそんなことする?ナツにとって「それが完璧に訪れる」のはアキオと一緒にいる時だけのはずであり、ある種の中毒だったのかも。でもやめられない状態にまでなっていた、ナツも変な薬を期待していた。「会社用のヒール靴」を履いてきたのは会社と旅行の区別もついていなかったから……

春夏秋冬

トウ(冬)ヤマだけおかしい気もしますが、これも意味があるはず。アキオはハルナと交際していた、ハルナの肩にはタトゥー“ハートのA”があった、これはアキオ?二人の破局は描かれていませんが、「あたしも人造人間みたいなもんなの。知ってる?」と聞きアキオは「分かんないよ」と言いましたが、「本当はわかっていた」。アキオはナツの”冷たいガラスのような”そして“一瞬の刹那、川の水のような”ところに惹かれていた、ハルナの作られた無機質ではなく。

トウヤマとナツは以前に交際していたのか?男女の仲だったのか?これも明かされませんが、おそらく何かはあったはず。でなければ「あんな女」なんて言うだろうか?初対面から“あんた”と呼んでいますが…確かにトウヤマにとってナツをはじめ他人は“どうでもいい存在”ですが、煙草が二人を結び付けているようにも思えます。そして以前ナツは誰と旅行に行っていたのか?「温泉に行こうと言い出したのは、少なくとも私とトウヤマではない」からトウヤマではない可能性が高い。2人ともそんな性格ではないし…

ただ以前来た時に“何か”あったから“私とトウヤマ”が言い出しっぺであるわけはない、のかもしれません。「秋より先に冬が来る」もここに掛かっているのか、それからトウヤマは“あんな女”と思うようになった可能性も。トウヤマは露天には行っていないので、渇いた岩にお湯をかけて反射を楽しむ人なのかもしれません。

まとめ

全員が暗い何かを抱えた旅行でしたが、4人にとって意味のある旅行になったのではないでしょうか?トウヤマとハルナはこの後少し“光”が見える破局をするのでしょう。アキオとナツはなんとも言えませんが…

ここまで池の女性は自殺で書いてきましたが、ラストだけ読めば違う結末も考えられる。「満足感、何かを成し遂げ、思い切り運動」は“殺人”を意味し、「池の鯉が跳ねるのを見たくて、そこに立っていた」は女性の死体を池に落とした、浮いているそれを見ていたかった、とも読み取れます…部屋の窓からミルの死骸を見ていたように。「ナツが死ぬことより、その場に自分がいないことが耐えられない」からも人の“死”を見てみたい、または“殺してみたい”という衝動なのかもしれません…トウヤマに熱湯をかけたかったのもそういった衝動とも言える。

もっともっと深読みすれば死んだのは1人とは限らない。今回“池で身元不明の女性が発見された”だけであって部屋ではナツが死んでいたかも…「規則正しい寝息」とあるので生きているようですが、「安らかな顔」って生きている人に使いますかね?実はあの老夫婦の女性の勘は当たっていた、ニュースで流れていたのは別の女性だっただけで…ナツも「ニャア」の猫を見ていたが幻覚剤と長風呂でぼんやりしていて気付かなかった。

まぁ、よくわからない1冊でした(笑)そこが今作の魅力なんですかね。「なんか面白いのある?」「この本、面白いよ。読んでみ」と気軽に勧められるものではありませんが、マニアにはたまらない、そんな“幻覚剤”たっぷりの1冊でした。

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